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154: おさかなくわえた名無しさん@\(^o^)/ 2015/08/19(水) 22:47:59.63 ID:P8tJK8IU.net
昨日起きて今日スピード解決した話。 

スーパーで買い物して駐車場に戻ったら、 
駐車中の俺のボロ車に他の車が後ろ向きで突っ込んでた。 

どうもバックしながら入れる場所を間違えたらしい。 
相手女性は最初は謝ってたのに警察に届けようとしたら喚き出して手におえなくなったので、そのまま通報。 

今日の晩に家に旦那さんが来て謝罪して貰い、 
修理費は全額相手負担で決着。 
めんどくさかった・・・

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727: 名無しさん@おーぷん 2016/01/06(水)21:33:28 ID:rOy
グロ注意かも?読みにくいと思います。ごめんなさい。

ちょうど6年前に2つ年下の彼氏がいました。
猛アプローチを受けて付き合い始めたのですが、純朴で可愛くて子犬みたいで、
何より優しくて誠実で大好きでした。

ある時、デートをしていたのですが、その帰り道、
街灯こそあるものの夜で暗かったためかそこで事故にあいました。

覚えてるのは、とっさに彼を突き飛ばしたこと。
少なくとも私には痛いっていう感覚はありませんでした。
気がつくと半月くらい経っていて、右足膝下がなくなっていました。

彼からは何度も私の両親を通じて、
「そっちに行ってもいい?」
と聞かれていたのですが、とりあえず
「来ないで」
と伝えていました。

ああ、捨てられるんだろうな。私だって無理だし。
仕事もどうしよう。親に迷惑かけるな。親がタヒんだらどうしよう。
と色々と考えていました。

結局、事故から一ヶ月経った時に彼に来てもらって、
どういう要件だったのかを聞こうと思いました。
彼にその場で土下座されて、庇って助けてくれたことの感謝と謝罪をされて、
「良ければ一生一緒にいたいです。支えさせてください。」
とプロポーズされました。

彼の両親は反対こそしませんでしたが、私の両親も大反対したそうです。
しかし、彼が私の両親に土下座して頼み込んで、私の両親も
「もうこの先私は結婚は無理だろうから」
と結局許したそうです。

彼は次男だったので、私の家にお婿に来るという形で結婚しました。
しかし、そこから旦那は相当に辛かったと思います。

父が気を遣うだろうと、家の近くの土地に
夫婦2人で住むには困らないくらいの仮住まいのようなものを建ててくれたのですが、
それまでは母屋で暮らしていました。

しかし、特に父や妹とは当初、上手くいかなかったようです。
(事故のことが原因で)私の妹からとてつもなく敵視されていましたし、
私の見ていない所でひどい嫌がらせまでしていたようです
(両親は見つける度に強く怒っていたようですが…)。

また、父も普段は優しく接して
(事故の前には既に紹介していて気に入られてはいました)いました。
しかし、食事などで長く同じ空間にいると、週に1度くらいの頻度で、
突然「ガァッ!」と声を上げて、旦那を殴る蹴るということがしばしばありました。

母や私の力ではもちろん止められませんし、妹はもちろん静観。
旦那も反撃しないので、血だらけになっていることもありました。

そんな生活だったので、旦那は家では何重もの理由と要因が重なり、
借りてきたネコのように怯えて暮らしていましたし、
自分から何か声を発すると言うことはほぼありませんでした。
常に旦那の味方をしていたのは母くらいだったと思います。

私も2人の時に、
「ごめんね。大好きだよ。」
と毎日のように謝っていました。
しかしいつもそういう訳でもなく、義足に慣れるまでは、
片方の脚がなくなったことで不自由を感じて耐えられなくなった時には、
旦那に獣のように感情的になりながら当たり散らしていました。

でも、旦那は
「ごめんなさい。ごめんなさい。」
と言いながら抱きしめてくれました。
夜も、旦那が布団の中で泣いているということが多々ありました。

仮住まいは出来たものの、私1人では不自由する事も多く、
私が義足に慣れるまでの二年近くはこのような生活が続きました。
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100: 名無しさん@HOME 2015/10/31(土) 19:52:42.29 O.net
誰もいなそうなので
私が恥ずかしい話を書き捨て 

奥さんの浮気で離婚した、
連れ子(女の子)のいる男性と結婚した 
女の子は小学生で、
母親が悪いと言う事は理解していても
納得出来てはいなかった

しかも奥さんは
とても綺麗でスタイルも良かったらしく、
デブで容姿も並以下の私が突然現れて
お母さんだと言われても
受け入れられる筈も無く、
敵意や嫌悪の視線が凄かった 

でも蟠りはいつか解けると信じて
ぎくしゃくしながらも生活を始めた 
おはよう、良く寝られた?
お帰りなさい、ご飯にしようか?
宿題はやった?と聞いただけで、
あんたなんかお母さんじゃない!
偉そうにしないで!と反抗される 

でも当たり前だよね、
私がお母さんだなんて
納得いかないよねと思ってたから、
寧ろ反応してくれるのが嬉しくてウザい!
と言われても声掛けはしていた 
そんなある日
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569: 名無しさん@HOME 2014/01/30(木) 15:38:26.12
車の運転中、信号停止のためにブレーキを踏んだら変な手応えがあった 
元々じわじわとしか動いてなくて、ブレーキを踏んだ力もごく軽いものだった 
なんだろう?と思いつつも、信号が変わり走り出した 

数分走った後、カーブの手前でスピードを落とすためにブレーキを踏むと 
スカスカした手応えで、全くスピードが落ちない 
慌ててサイドブレーキを使うが、それもダメ 
幸いそんなにスピードが出ていなかった為カーブは曲がれたが、全身から冷や汗は吹き出て、頭は真っ白だった

時期に交通量の多い道に出る、小学校も近く児童も多く通る 
絶対にその道に出る前に車を止めなければ、と強く思った 
頭の中に、嫁や親の顔がチラチラして、心臓がバクバクした 
はっきり考えたわけではないけど、最悪自分がタヒんでも車を止めるしかない、と覚悟をしたと思う 

俺はヘタレで、何をどうすればいいかも分からなくて全身が震えてハンドルを握る手もガクガクしていた 
その時、道に左側の先にガソリンスタンドが見えた 
数日前まで営業していたのに、チェーンがかけられ事務所が半分解体されていた 
もうここしかない!と思い、ハザードを点滅させっぱなしにして後続車が距離を開けたのに安心して 
閉鎖せれたガソリンスタンドにハンドルを切って突っ込んだ 


はじめガリガリとチェーンに引っかかる感触があって、後はもう目を閉じて頭をかばった 
気が付くと救急車が見え、目の前に白い塊があった 
ああ、エアクッションだこれ、と思っていると、救急隊員の人が名前や何かを聞いてきた 

ぼんやりしながら「誰かけが人はいますか?後続車を巻き込みませんでしたか?」と聞くと 
後続車も無傷で、その車の人が救急車を呼んでくれたのだと教えてくれた 
俺はそのまま意識を失って、次に気がついたのは病院だった 
全治3週間のムチウチと打ち身の軽傷で済んだ 


車はぐちゃぐちゃで、ブレーキが効かなった原因は中で何かが折れたためらしいとしか分からない 
朝のラッシュ時で、もともと40キロ前後のスピードしか出てなかったのと 
チェーンがワンクッションになったのと、ガソリンスタンドの壁にぶつかる前に 
積んであった廃材にぶつかりかなりスピードが削がれたのが幸いだった 

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879: おさかなくわえた名無しさん 2013/10/16(水) 10:55:42.38 ID:Fg/x4Q+3
うちの母親も信号待ちしてたらノンブレーキで突っ込まれた。 
相手は業務車で携帯でメールしながらの前方不注意だった。 
母の車は軽自動車で追突されたまま信号を横断、幸い青信号側からの車はなく止まった。 
母の車は長さが半分になって救出に時間がかかったそう。 

その報告を搬送中の母親本人から聞いて驚いたが、更に驚いたのは業務用として使っていながら任意保険に加入していない事だった。 
その夜には加害者の嫁と子が着て謝り倒していたが未加入の事で少しでも軽減してもらえるよう必タヒだった。 
最初は怒っていた両親も情にほだされて自賠責範囲と必要分だけ払ってもらえるように手配した。 

加害者は個人事業主だったみたいだけど任意保険未加入には呆れたし運転中にメールもあり得ないから、 
徹底的にやってほしかったけど一家で首を括るしかないと言われて親は折れたらしい。 
生命保険にも入ってなさげだしタヒなれたら逃げられるだけだからという意見もあったけどやりきれない。 
母親は今でも後遺症に苦しんでいる。あームカつく。 
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807: 名無しさん@おーぷん 2016/02/05(金)02:42:08 ID:e1Y
修羅場かどうかわからんけど、この時期になると思い出す話

さらっと昔話すると、僕の家族はみーんな16~17のころにタヒんじゃった。
16の時に親父で、17の時母・弟・妹ってな具合。
他の親戚はとうの昔にタヒんでた。
役所いっても「プッ働けばw」みたいな事言われたから、高校辞めて働くことにした。
2年までは進級してたから、
一回辞めてお金貯めるか奨学金通ったら夜間に通おうと思ってた。

唯一生きてる父方の祖母に保証人になってもらったり協力はしてくれたけど、
かなり高齢だし自営で年金も大してなかったから、金銭的な援助は無理だった。
家借りれる金が出来るまで、知り合いのガレージを間借りしてたりもした。
そのころの生活は辛いのなんの。
狭い部屋で暖房もなくて、家にいるときはずっと布団にくるまってた。
畳でよかった。フローリングならタヒんでた。
食べる物もろくに買えなくて、
安い小麦粉買ってきて塩と水で練ったものを茹でたのが主食だった。
もったいないから水で薄めた醤油に付けて食べて、時々安売りの野菜と卵買ってきて、
お好み焼きみたいなの作るのが贅沢だった。ソースは高いから醤油オンリーだけど。

18になって夜勤ができるようになって、スーパーに卸す食品工場で働いた。
この時期は、関西ってのもあって恵方巻作りのシフトは夜通し働いた。
節分なんてあんまりやらない家だったから、
初めてまじまじと見たけど「ただの太巻きやんけ…」と思った。
世の中の家族はこんな良いもん食ってんだな~なんて思って羨ましかった。

でもその恵方巻は沢山廃棄されてた。それだけじゃなくてお惣菜とかも。
工場で破棄する分もあって返ってきてたから、あまりの量にびっくりした。
店舗廃棄も含めるともっと多いんだろうね。
言うほど売れないもんだし、どこでも売ってるからな…。

その時なんの意識もしてなかったけど涙が出てきた。
なんでこんなに僕は腹空かして我慢してるのに、頑張って作ったのに、
食べれるのに捨てちゃうんだろ。って。
でも誰も顔色一つ変えずにポイポイ捨ててた。
工場やスーパーからしたら、
見切り品で食中毒なんてシャレにならんし、捨てるのが一番らしい。

その日僕は人生で初めてゴミを漁った。
ゴミ袋を回収に来る前に、廃棄された惣菜をこっそり持って帰った。
とても悔しかった。なんでこんなことしなきゃいけないんだろうって事ばかり考えてた。
それでもゴミの中から漁った久々の米はおいしかった。
寒い時期で常温でも冷蔵庫みたいなもんだから、お腹一杯食べれた。
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