カテゴリ: 悲しい話

297: 名無しの心子知らず 2017/09/02(土) 03:15:30.26 ID:IBc6g2sl
もうすぐ子が1歳の誕生日で
遠方から実両親が来て盛大にお祝いする予定だったんだけど、
伯父が亡くなってまさかの誕生日当日がお葬式になってしまった

お世話になった伯父だから帰省してお葬式に出るのは当然だけど、
誕生日のお祝いは一体どうなるんだろう
せめて別の日に夫婦二人でお祝いできたらよかったけど
旦那は海外出張の予定が入ってて誕生日の後1週間不在だし

せっかくの1歳の誕生日なのにお祝いってかんじじゃなくなっちゃうよな
とか、初めてのアンパンマンミュージアムにも行く予定で
楽しみにしていたのにな、とか考えてしまって悲しい

そして苦しみながら闘病していた伯父が亡くなったのに
そんなこと考えてしまう自分にへこむわ
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863: 2011/12/17(土) 10:12:58.75

最近肺がスースーして、自転車の上り坂でもすぐ息が切れるので病院に行ったら肺ガンだった。
一昨日わかったんだがまだ嫁には言ってない。

今日は子供のクリスマスプレゼントを買いに行くという目的で久しぶりのデートだから、嫁は今楽しそうに準備してる。
家に帰ってから話さないとな…

幸い嫁はぼちぼち稼ぐのでタヒんだ後の金の心配はあまりしなくていいのはいいけど…
悲しませるだろうなぁ
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672おさかなくわえた名無しさん 2016/11/13(日) 19:29:01.65 ID:ueLVc3BB
小さい時からの親友夫婦がタヒんで、残された幼い子供を引き取った。
そしてその子が成人するまで大切に愛情を持って育てたつもりだったけど
虐待で訴えられた事。

意味が分からず、当時のホームビデオとか日記とか出せる証拠は全てだして
何とか裁判では勝てたけど凄くショックだった。

今でも何であの子がそんな事をしたのか意味不明、殴った事も無く、しかるのは
その子が危ない事をした事にのみ。(小さな時は道に飛び出すとか。大きくなってからは未成年で
タバコを吸ってた時とかは怒った。)

妻も自分も虐待なんてしないのに・・もちろん性的虐待も無い。
今では音信不通に・・・。すごい悲しかった。
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761: おさかなくわえた名無しさん 2017/05/09(火) 21:36:28.19 ID:tTqZxV93
小さい頃、近所に駄菓子屋があったんだけど、店主のおばさんがきっつい人で、
子供心に怖かったし、勘違いで怒鳴られた事が何度もあったから、嫌いだった。

最後に会ったのは小学校高学年の頃で、兄と2人で店の中のくじを引いたら、
兄は女の子向けの景品、私は男の子が欲しがりそうな大きなワニのソフビが当たり、
おばさんが「逆なら良かったね」と笑ったのがすごく印象的だった。
笑った顔を見たのが初めてだったからだと思う。

それから数年後、おばさんは店の中で自杀殳した。

おばさんは若い内に未亡人になって、娘を1人で一生懸命育ててたんだけど、
その娘(社会人)に「お母さんなんか大嫌いだ」と言われての事だったらしい。

娘がそう罵った理由が衝撃的で、
いつもリヤカーで店に出す売り物を仕入れに行く姿がダサイからとかナントカ。
まさか自杀殳されるとは思わず、何かの拍子に言ってしまったんだろうけどね。

あの大嫌いだったおばさんが、何十年経っても切なく思い出す人になる
とは思わなかった。

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20: おさかなくわえた名無しさん 2014/01/04(土) 19:01:53.77 ID:HbTWU2zF
中学の同窓会で先生に人ゴロしと言われたこと。 

先生は15歳年上のいとこと同窓生で親友だったんだが、それがわかったのは 
私が高校生になったばかりの時、いとこの通夜での席だった。 

当時はいとこのタヒ因は
「もとから心臓が悪く薬を飲んでいたが、突然の発作で薬を過剰に摂取してしまったことが原因」
と説明されていたが、よくよく考えるといとこの心臓が悪いなんて話は聞いたことないし、
たしかスキーのお土産とかもくれたはず。

なによりいとこは医療従事者だった。いくら慌てていたとはいえ仮にも専門家がそんなタヒに方をするのか?
とおかしな感じはしたが誰に尋ねるわけにもいかず、なるべく気にしないようにしていた。

それから4年後、成人式の後に中学の同窓会を開くことになり、
当時の先生方も参加してくださることになった。

当日用事があり少し遅れて会場に入り、友人とあいさつしていのだが、
いきなり背後からビ ールをかけられた。
びっくりして振り返ったら先生がすごい形相で立っていて、
「この人ゴロし!」「阿婆擦れ!」「おまえのせいでいとこちゃんはタヒんだんだ!」と罵られた。
私も含めその場にいた全員突然のことで固まってしまってたが、先生がグラスを持った手を振り上げたとき
男性陣が先生を後ろから羽交い絞めにして抑えてくれた。
それでも私は固まったままで、友人と騒ぎをきいて駆けつけてくれた店員さんに連れられて
他の座敷に避難したところでようやく我に返った。
とりあえず両親に連絡して迎えに来てもらったが、待っている間ずっと先生の怒鳴り声が聞こえてきた。

次の日、その場にいたもう一人の先生から謝罪の場を設けたいと連絡があり、
両親と一緒にその場に赴くと本人はいなかったが連絡をくれた先生、先生のご両親、同窓会の幹事がいた。
幹事も先生に呼ばれたらしい。
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309: 1/2 2013/09/11(水) 17:03:48.47 ID:9IKbwMTJ
そんな事かwと言われそうだが私にとっては忘れえぬ修羅場を豚切って失礼しますね。長くなったので二分割します。

私には4歳の時に誕生日プレゼント買ってもらったウサギのぬいぐるみが居た。
若干人型で針金の入った耳がついていたので、耳がピンと立つタイプ。
毎日手を繋いで過ごし、あった事を報告し、抱きしめて眠った。
兄弟喧嘩をした時には人質として取られ、耳を切られて泣きながら直した事も。
よだれも涙も染み込んでいたと思う。
着れなくなった服でお手製の服を作ってやったり、洗えるタイプだったので一緒にお風呂に入ったりして大事にしていた。
高校になる頃には彼女の服も大分まともになり、耳の針金はくたびれて立たなくなってしまっていたが、それでも毎日一緒に寝ていた。そんで大学生になったある日。

弟『かーちゃんやばい!ねーちゃん帰ってきた!!』
母『アンタちょっと私子ひきとめて!』
私『えっなに?』
弟『アババババねーちゃん落ち着いて聞いてくれ』
私『いやだから何が起きたんだよ?』

弟『ウサ子(ぬいぐるみの名前)が……シんだ。』
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859: 名無しさん@HOME 2013/03/18(月) 15:36:00.76 0
長くなるんだけど、ごめんね。 

こういう雨の日に、私外に出されてたんだよね。 
すごく小さい時の記憶なんだけど、親は働いてて、普段は保育園だけど、 
休みの日は同居のおばあちゃんに預けられてた。

おばあちゃんは、私が嫌いなのか、小さい子がうざかったのか、
私を外に出して鍵かけて。

近所の資材置き場に行って、雨に濡れないようにずっと三角座りしてた。
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730: マジレスさん 2017/02/26(日) 15:25:59.86 ID:kaGdN8RQ
同級生やその家族、知り合いやその家族がどんな大学に行って、どんな職業に就いてるか、
ずっとフェイスブックやツイッター、ネットで名前を検索したり毎日誰かを調べています。
国立大や公務員になっていたりすると、うらやましくて仕方なくて、徹底的に調べています。

私は勉強の仕方がわからず、中学生でも苦労しました。
両親の希望する進学校に行けずに、ランクの低い公立高校に合格しても、
バカな学校は嫌だというプライドでお金のかかる親不孝な私立高校に進学してしまいました。

小さい頃からどんな職業に就きたいかもわからず、目標がなく、
高校の時に親不孝した分、就職して返そうと公務員になろうと思いましたが、
公務員の予備校も今ほど人気がなく、高校の先生に反対されて、
成績の良かった私は国立教育大学の推薦を勧められ、教師の道を提案されました。

それも断り、両親の言うがままに、栄養士の短大に行き、
好きでもない料理を勉強して、栄養士の免許は使わずに終わりました。
念願の公務員とまでは行かず、財団法人の職員にはなれたのですが、
いじめられて2年我慢しましたが、体調を崩して辞めました。

その後の民間企業でもいじめられて、結局体調を崩して、うつになり、
会社をクビになりました。うつなんか要らんと冷たくされました。
人間不信になり、人が怖くて今では辞めて3年経ちますが、無職で40歳。

今まで何をして来たんだろう?
何となく時間を無駄に過ごして来て、人生を無駄に過ごしてしまって、後悔しています。
情けなくて、成功してる人と比べると悔しくて、生きる権利なんかない気がします。
発達障害もあるとの事で、再就職もむずかしいです。

両親にもとても可哀想な思いをさせ、申し訳ない気持ちでいっぱいで、
孫も見せれず、ウエディングドレス姿も見せれず、最低な娘です。
こんな私は早く消えたい、と思いますが、タヒぬ勇気はありません。
生きたいけど、生きていいのかわかりません。

精神科の先生は優しく、急がないでゆっくり進めばいいと言いますが、
40歳を過ぎて焦りがひどいです。

他人がうらやましい。
調べては、別人になりすましてコメントしたり、もう嫌です。
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17おさかなくわえた名無しさん 04/05/09 01:00 ID:4hrZxYVK
もう何年も前の話。

結婚して2年ぐらいだった。夫は優しい人で、いつも明るく、私を笑わせてくれていた。
とても好きだったんだけれど、おっとりした人で、神経質な私をいらいらさせることもあった。
でも夫は、仕事のことで不機嫌になり、なにも悪くない夫のことを私が邪険に取り扱っているときでも、
いつも私のことを気遣ってくれる人だった。私が体調悪いときは、仕事を途中で抜け出して帰宅し、
その後仕事に戻って徹夜するような、自分がどんなに無理しても私の面倒を見てくれる人だった。

夫婦の家事分担は、私も仕事を持っていたので、食事・洗濯等は私がやる代わりに、使用した食器の
洗浄は夫の担当ということになっていた。
当時夫は、連日日が替わってから家に帰るほどの激務が,2ヶ月も続いていた。
でも文句も言わず、深夜私が寝付いた後に帰宅して、私が用意しておいた食事を食べ、
夜中に私の分も含めてちゃんと食器を洗ってくれていた。

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