カテゴリ: 実父・実母

219: 本当にあった怖い名無し 2011/11/15(火) 20:29:48.67 ID:plG/Kze20
小学一年生の頃、うちの両親は毎日のように口喧嘩を繰り返してた。
どっちかが暴力を振るうということは無かったものの、毎晩聞こえてくる怒鳴り声に耐えられず
いつも布団を頭から被って、どっちの声も聞こえないように泣きながら必死で耳を塞いでた。

いい加減に我慢できなくなって、ある日から、実家の近くにあった大きめの神社に毎日通って、賽銭箱に10円玉放り込んで
「もう両親の怒鳴り声聞くのは嫌です!私の耳を聞こえなくしてください!」って祈ってた。
(今思うとなんで両親が「喧嘩しなくなりますように」とか「仲良くなりますように」とか祈らなかったのか、自分でも疑問なんだけど)

で、2,3ヶ月ぐらい続けてたんだけどそしたらある日本当に耳が聞こえなくなった。
病院に行ったら原因不明の突発性難聴と診断されたけど、「これは一生治らない」と医者も匙を投げるような状態だったらしい。
それを聞いて両親とも大号泣、特に母の落ち込みようは尋常じゃなくて「お母さんと一緒に死のうか?」って言われたぐらい。

当時は「願いが叶った!神様ありがとう!」って思うと同時に、両親をあんなに悲しませてしまったことの罪悪感が凄まじくて
子供心にも複雑な気分になったことをよく覚えている。

今はアラサーと呼ばれる年齢になったけど、今でも私の耳は聞こえないまま。
両親は昔あれだけ喧嘩ばっかりだったのが嘘のように仲良く、というか落ち着いた仲になった。
だから結果的にはこれで良かったんだろうな、と思うしあの神社の神様にも感謝している。

でもやっぱり両親を悲しませてしまった罪悪感は薄れないままなんだよね…
あの時あんなお願いしてしまってごめんなさい。悲しませてごめんなさい。

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274: 名無しさん@おーぷん 2014/07/23(水)12:24:35 ID:???
フェイク入れてます

産まれたばかりの私をイラナイ、2度と会いたくない、養育費も払わないと、
母と離婚した後に不倫相手と再婚した、
クソ野郎から今頃会いたいと手紙が来た、
多分私がある事をして小金持ちになったからだと思う。(ある事で雑誌に載ったから多分そこから知られた)
母からは、養育費払わないし、2度と会いたくないとクソ野郎が書いた、(母が子供が会いたいと言ったらあって欲しいと伝えたら、私を産まれなかった、最初から存在してないと思ってるから会うことは無いと言ったらしい)
念書を見せられた、そこには、離婚する理由も書いてあった。
何百万の借金もあったらしい


手紙には、私を一日も忘れたことはない。
会いたかったが、母が許してくれなかった、
母から、離婚した理由を俺の不倫だと聞いてるかもしれないがそれは母の嘘で、不倫していたのは母の方
そんな女の元に置いておくのは心配だから、俺の所においで、
お父さん少し体壊して、入院してるけど、もう少しで退院できるから、
退院出来たら二人で会って話そう
だいたいこんな感じ

母に聞くとクソ野郎は糖尿病らしいです。

散々私を存在しないものとしてたのに、ちょっと小金持ちになったら、物凄く心配してた風にしてるのがずうずうしい。
二度と連絡しないでくださいと手紙を送り、来月には引っ越します

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661: 可愛い奥様 2011/12/24(土) 02:12:10.02 ID:xKb+2/TAO
不倫女の脳内を覗いてみたい。
父の不倫相手の1人は弟の同級生の母親だった。
当時、弟は小学3年で私は中学1年。
その不倫相手の出産の時期が父との不倫と重なったていたらしい。
父宛ての「責任取ってください」という手紙が見つかった。
こっそり読んでしまった。
でも、相手も既婚だったし、
普通に出産したなら同時期に夫との性生活もあったから、
夫に怪しまれずに出産したのだろう。
おまけにこの母親はうちの弟に自分の赤ん坊を見せて
「お兄ちゃんよ~」とニヤニヤしながらのたまったらしい。 どういう根性してるんだろうか。
赤ん坊も可哀想だし弟も可哀想だ。
こんな女が赤ん坊をまともに育てられただろうか?
裏庭で焚き火に手紙をくべていた母がポツリと私に
「あなたには兄弟がいる、腹違いの」と言った時の
感情をかみ殺して娘に漏らす気持ちって
、どんなだったろう。
私は母より先に手紙を見つけて、こっそり隠していた。
女も60過ぎているだろうけど、生きているだろうか。
父と母は離婚して、弟も私もお互いに家庭を持った後に父とは絶縁した。
父は年金でぼそぼそと暮らしていたが生きているか不明。
父は子供らに葬式すら出してもらえない。
自業自得だ。

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259: 1/3 2014/04/07(月) 10:08:04.23 ID:G04D3Im1.net
私の母の存在で、村1つの在り方と数多くの娘さんの人生が変わっていた話。
30年位前の話でフェイクもりもりなのでつじつま合わないところあったらごめんなさい。

私の母は距離にして北海道→関西くらいまでの大移動をして進学をした人。
進学先と同じ土地で就職。私の父に出会い、結婚した。
父の実家は新幹線の停まらない駅から更に車で2時間の超田舎。
田舎と言うともう少し街側に住んでいる人に「お前らと一緒にスンナ」と言われるくらい田舎。そして農家。
ほとんどの家庭で嫁いびりっぽいことはあったそうだが、周りがそんな環境なので当たり前の雰囲気だった。
しかし私母はそんなこと気にしない。ガンガン正統派にやり返し、陰で鬼嫁と言われていた。
この辺は今回の話とは関係ないので省略。

私は妹と2人姉妹。
祖父母と同居しており、実家は例にもれず農家。

当時は学歴社会と少子化が顕在化し始めたころで、10年ほど前から2~4人くらいの兄弟構成が多くなりつつあった。
そうすると当然ながら男の子のいない家庭が出てくる。
しかし膿家は女の子でも容赦なし。進学先の選択肢などなく長子は農業高校一択。
農高なんて農家がほとんどだからみんな実家を継がなければならず、婿入りしてくれる相手なんて見つからない。
私地元の農高は大変偏差値が低く農業大学に進学するほどの学力はない人が多く
地元に戻る→結婚相手が見つからず途方に暮れる、みたいな流れがちらほら出始めていた。
昔なら養子縁組もあったのだろうが、時代の流れでそれも難しい。

そんな中、私は母の方針で公立普通高に進学。
祖父母が何か言っていたらしいが、父が普通高→農業大学なのでその流れでいくと思わせて了承させる。
まぁ、農業大学ならバイオ系の研究職もあるな~くらいに思っていた高校1年生の時に父が事故で急逝した。
ここで私の人生一変。村の未来も一変。
テンプレ嫁いびりを受けていた母はさっさと妹と私を連れて田舎を脱出。街中で新しい生活を始める。
母は嫁いでからは農業を手伝っていたが、実は結婚前は看護師だった。
あっという間に前の職場のツテを使って好条件で復職。大変だったろうが、女で1つで私たちを育て上げてくれた。

260: 2/3 2014/04/07(月) 10:08:42.11 ID:G04D3Im1.net
そして、村の方も異変があった。
まず私が長子なのに普通高校に進学した時点で「そんな方法が…」状態で普通高校進学者が続出。
母がその辺の事務員よりよっぽど良い給料をもらってるのを知って、農高に進学した女の子も看護専門に続々進学。
これは私母が仲の良かったママ友に「学費ほぼタダ、奨学金あり、就職して何年か勤めれば奨学金返済免除」という制度を教えたため。
農業高校→看護専門って畑違いもいいとこのように思えるのだが、農業系は生物と化学が強かったため意外といけた。
病院側も看護師不足に喘いでいたので、割と採用してくれた。

こうして農家でいかず後家になる女の子が激減。
かわりに跡継ぎのいない農家が大量発生かと思いきや、大地主さんが土地を買い上げて農業会社を設立。
というのも、私実家は父が亡くなった1年後に祖父も死去。
父の他に男兄弟はいなかったため実質誰も農業をやる人はいなくなった。
その時に母は父から相続→祖父に預けてあった土地を全部大地主さんに安く売った。
母としてはいらないものだから処分できただけで万々歳だったのだが、これも他の農家が後に続いた。
ついでに仲が良かった大地主さん家の若夫婦に「どうせなら会社にしちゃえば~」とアドバイス。
大地主さんとしては普通に買うより安く(身内価格で)土地が増え、農家の三男坊などが働きに来て上手くいった。
結果として生産性が上がり、乱開発もなくなって土砂崩れなどもなくなる。
仕事にあぶれる人も、嫌な農業を押し付けられる若い女の子もいないの良いことづくめになったそうだ。

261: 3/3 2014/04/07(月) 10:09:23.35 ID:G04D3Im1.net
というのを、先日行われた5学年合同の同窓会で知った私。
私にはたくましいが普通のその辺にいるお母さんだったのだが、母に人生救われたと思っている人がたくさんいてびっくり。
地元に看護師多いな~あるあるネタが話せて楽しいな~とは思っていたし
一部が「私ちゃんのお母さんに憧れて看護婦になったの」と言う子がいるのは知っていたが
私は地元を出てからほとんど戻っていなかったので、まさか地元全体がこんなに変わっていたとは知らなかった。
ついでにいかず後家になっちゃってたお嬢さんたちに、田舎の農業体験ができる民宿や田舎カフェ
地元でできた新鮮果物のスイーツを作ってネット販売とかを提案したのも母だった。
現在は農業企業に勤める若手男子と結婚した人が多いので、いかず後家はほとんどいません。
私が地元を出る当時、これは過疎化の一途をたどってそのうち消えるだろうな、と思っていた地元は
現在それなりに賑わい、全国版テレビで特集を組まれたり他県の山間部が視察に来るらしい。

大地主さんちの孫(私の2個上の先輩)に
「お前の母さん、地元の女神なんだぞ。あの人いなかったらみんな路頭に迷ってた」
と言われて、今じゃただの孫バカになってる母の武勇伝を知ってびっくりした話でした。
同窓会の後にその話を母に聞いたら「そんなことになってたの?知らなかったわ」と。
母としては看護婦として自分の人生を楽しく生きて
テレビでやってる色んな農家の成功例を、大地主家の若奥さんに世間話してるだけのつもりだったらしい。

ちなみに母と犬猿の仲だった祖母ですが、距離ができたためか関係は改善。それなりな親戚関係を築いてます。
ついでに「あの女神を産んだお姑さん」と地元で持ち上げられ、それなりに楽しく1人暮らしを満喫しているようです。

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426: 1/2 投稿日:2013/06/02(日) 07:27:06.91 ID:2GZ5d36C
母が私にクレクレで、他の人にアゲルアゲル。
母は、母の好きな和菓子は大量に買うけど、私の好きなお菓子は絶対に買ってくれなくて
幼稚園児の私に「働いて自分で買え!」と薄ら笑いを浮かべる人。ちなみに私はお小遣いなし。

どうしてもお菓子が食べたくて自分で作り始めたのが小学生の頃だった。
作っていると、必ず横から
母「それ、○○さんに持って行くから包んどいて!」
私「え?、、、どれくらい?」
母「ああ、それしかないの?じゃあ全部で良いよ」

やっと作り終わって、自分の分を作ってると
母「それぇ~××さんにあげようかな!それも包んで!」
私「、、、どれくらい?」
母「全部入れちゃって良いよ!それしかないから!」

やっぱり甘い物が食べたくて、疲れきってる中、残った材料で簡単なお菓子を作ってると
母「それ、今日△△に行く時に持って行くから置いといて!」
私「私が食べたくて作ってるんだよ?」
母「だったら食べれば良いじゃない!!こういう形とか色が悪いの!ほら!あるよ?食べれば良いでしょ?!
  私子はいつでも作れるんだから、そんなのどうって事ないじゃない!!」
母はあればあるだけ人に持って行くから、いくら作っても私が食べられるのはほんの少し。
この他に、お客が来る時と誰かが出かける時は、私にお菓子を大量に作らせる。

家はクリスマスも誕生日もないので、私はおもちゃを1つも持ってなかった。
服も自転車も近所の子のお古。その頃、親はウン十万円のラム革コートや宝石が入ったブランドの時計を買ってた。
私はお菓子の箱を宝物にしてたけど、私の友達が見つけると、母が聞こえよがしに「あげちゃえば?」
すると友達も遠慮なく「欲しい!!」。断ると「あげれば良いじゃない!どうせ使ってないでしょ!?」としつこい。
そのうち友達が「私子ちゃんがくれない~」と泣き出して、母は友達の頭をなでながら、私に「お前は嫌な子だねぇ」
友達に「あんなのくれれば良いのにねぇ~」と猫なで声で慰めて、泣きながら宝物をあげる事が何十回もあった。
子供はもらえるのが嬉しいだけで愛着がないから、目の前で壊される事もたびたびあった。

427: 2/2 投稿日:2013/06/02(日) 07:27:59.73 ID:2GZ5d36C
先日、家にお客が来たときも、客の目の前で私のハンクラを「これあげる?あげちゃう?ねぇ、あげる?あげないの?」
と、客に聞こえるようにしつこく言うので、後でケンカになった。
私が「誰に何をあげるかは自分で決めたい。無理やりあげさせられたくない」と言っても
母は「私子はいつでも作れるんだから、また作れば良い!でも大変だからお母さんは作らない。作れる人が作れば良い!」
と主張。私の作る手間も労力も時間も、一切頭にないと気づいた。
そういえば、母が私の顔を見て話してくれるのは、私を怒鳴る時と頼み事をする時だけだった。
母は私の物を横流しするだけで、自分の物や自分で作った物を人にあげたことがなかった。

お礼に人間関係を整理させてあげる事にした。母に
私「人にあげたら二度と作らないよ。いらないからあげたんだと見なす。大事なら自分で持ってて」と宣言。
母は怒鳴ってたけど、父に「人にあげたいなら、自分のできる範囲でやれ」と言われて静かになった。そして昨日、母は
岩みたいなケーキを焼いて「今までずっと私子に任せっきりだったから、どうやって作るのかわかんない」とぼやいてた。
私も昔は、母みたいに物をたくさんあげないと人は友達でいてくれないと思ってたから、友達はクレクレしかいなかった。
母の友達も、私を見ると「私子ちゃん、早くお菓子作りなよ。またもらってあげるよー」と声をかけてくる人ばっかり。
ハンドメイドがいくらでも湧いて出てくる物じゃないと知るのと、人間関係を整理するのと、どちらが先か見てるつもり。

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992: 名無しさん@HOME 投稿日:2012/08/28(火) 00:50:42.90
埋めがてら、置いておく。

10歳ぐらいで、両親が私を児童擁護施設に入所させた。
それから誕生日にちらっと顔を見せに来るぐらいで、手紙もろくに返さず、
ずーっと放置されて5年近く。
高校入学と同時に、頻繁に顔を見せるようになって、「両親も生活安定した」と
喜んでたら、そろそろ進学の時期に、「お父さんの知り合いの店が大変だから、
勤めててつだってほしい。」と水商売に勤めるよう言われた。
卒業と同時に両親とともに暮らすようになったけど、二人ともギャンブル依存症。
父親は多分ニコチン中毒で、タバコが手放せない。無いと尋常じゃないほど
不機嫌になる。
そんな中、二人の生活費とギャンブル代のために水商売と昼間の仕事で働いて、
2年我慢したあたりで、どんどんえらそうになっていく両親に嫌になって、
黙って転職して、県外の風俗系の店の寮に入ることで逃げた。

でもその店がノルマとかあった上に、ドレス代とか言って借金させられた。
寮費もだんだん払えなくなり、21歳の誕生日の時に借金が年収ぐらい。
困って転職しようにも、寮費を払ってないので出られない。
そこらへんで病んできて、リスカとかくりかえしてた。

最後は病院で紹介された「よりそいホットライン」ってところに電話して、
上みたいな状況をぶちまけるように話したら、保護してもらえた。
借金も違法だったらしく、あっさりと解放された。
その何とか生活を立て直すための施設の中で、児童養護施設では、
「女の子なら16歳以上になったらひきとる」って親が多いんだって知った。
今は普通に働けるようになって、冷静に書けれるようになった記念カキコ。

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